知識がなくても真贋は分かる
東大食堂の絵画処分事件は、何日も前からわかっていたわけだけど、きょうになって報道されているのは、謝罪文が掲載されたからでしょうか。その謝罪文では、棄ててしまった理由として「知識がなかったから」と言ってるんだけど、これは違うと思います。
知識がなくったって、こんなものを簡単に棄てるなんてのは、あり得ない。だってずっと食堂の壁面を飾っていたわけでしょう。なんの理由もなく飾っていたわけはないので、多くの人は見逃していたかも知れませんが、同じように多くの人がこの絵を鑑賞してきたはずです。
誰が描いたかとか、どのような価値があるとかではなく、絵を見てその善し悪しがわかるのは、教養があるかどうかではないかと思います。
では、教養とはどうやって得ることができるのか。それは、たくさん本を読み、絵を見て、いやそんなんじゃなくてもいい、映画を観て、あるいはマンガ、あるいはアニメーション、そういうのを好きなだけ見て、自然と身についていくものではないでしょうか。ドラクエなどのゲームで育った人びとも、こんな処分はしなかったと思います。
最近は電車の中でも、あながち若い人だけでなく、サラリーマンらしき人たちも、スマホでゲームばかりやっていて、どうかなぁ、とは思っていますが、スマホゲームであっても教養の醸成に役立つと思います。あんなのは、私たちの世代なら、ラーメン屋で劇画雑誌を斜め読みしていたのと同じです。
ただ、斜め読みだけに終ってしまってはいけないのかも知れません。熱中する、愉しむ、探求する、そう言った経験値が大きくものをいう気がします。
古美術品の真贋を見極めるテレビ番組がありましたが、銘がどうこう作風がどうこうと言うのは知識ですが、最後には出来映えの良さが真贋のポイントとなっていました。だから、けっこう知識のない私でも、真贋は分けることが多かったのです。