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ヒカシューの21世紀ベスト1枚目

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というわけで、ようやく20世紀が終り、21世紀ベストを聴いています。

この文章は、私の記憶を元にあまり裏を取らずに書いていますので、憶え違いや誤りがあるかもしれません。バンド自身の座談会がアップされていましたので、こちらのほうがもちろん確かです。

21世紀ヒカシュー座談会|MAKIBRI|note

でもあえて私の個人的な感想を書いていくことにします。

1「入念」

この曲から始まっているのがとても嬉しい。最近のヒカシューのテーマ曲といってもいい曲だけれど、実を言うとずいぶん前から演奏されていて、編曲も変わってきている。

1990年代後半から演奏されていたのではないか。そのころの渋谷のラ・ママで聴いたような憶えがある。井上さんがまだいてドラムスは新井田さんだったのではないかと思うけれどほとんど自信はない。

初めのうちの「入念」は「念には念を入れ」の歌詞のところ何回繰り返すか決まっていなくて延々とやっていた。巻上さんの合図で次のシーケンスに移るのだった。ゼロ年代後半のライヴでは「生きること」の直後に佐藤さんのドラムをきっかけに突入することが多かった。

それにしてもこの歌詞このメロディでファンは大盛り上がりし踊りまくるのだからすごいと思う。シンセサイザーのリフとリズムセクションの走るようなノリがそうさせるのだろう。まあ、ヒカシューファンは変拍子の「プヨプヨ」でも踊るのだから特筆すべきことではないかも知れない。

ライヴで作られたりライヴで成長した曲は多い。このベストには入っていないけれどシングルの「あしたにかけた」は横浜のエアジンという小さな会場で三田さんがどこかのスタジオで見た楽譜にこんなのがあったと弾き始めたのへ巻上さんが即興で歌を付け、周りのメンバーも演奏し始めたのを目撃したことがある。

2「転々」

20世紀ベストはほぼリリース順だったけれど、この21世紀ベストは1枚目はゼロ年代2枚目は2010年代と分かれているけれど、曲順は必ずしも年を追っていない。

「転々」というアルバムが2006年に発売された。ちょうど再びライヴにも行くようになっていた時期で飛びつくように購入した。CDが出るのは10年以上のブランクがあった。発売日直前にライヴがあれば物販で買ってサインをもらうのだけれど、これはもらっていないからしばらく行けなかったときなのかもしれない。「入念」以降はだいたいサインをもらっている。

聴いてみてびっくり。最初から最後まで即興演奏で、聴いている感じだとヴォーカルもインプロヴィゼーションのようだった。このアルバムからニューヨークでの録音が恒例になったけれど、その最初のアルバムに清水さんは参加しておらず4人での演奏になっているからキーボードがいない。

これまでライヴでのインプロヴィゼーションは結構あったけれど、アルバムでは初めてだったのではないだろうか。いや「祈り」とか「偉大なる指揮者」はそうだったか。でも全編というのは初めてだった。

これ以降のライヴでも1曲目は必ずインプロヴィゼーションから始まるようになる。曲順を決めなくなったのはこの頃からだった。

3「グローバルシティの憂鬱」

今のメンバーになるひとつ前のメンバーの時によく演奏していたインターネットをモチーフとする曲。いまのようなブラウザによるネット環境というのはいつごろから始まったんだろうか。その前はパソコン通信ニフティサーブの中に巻上さんのフォーラムもあってそこから情報を得てライヴに行ったりCDを買ったりするようになったのがおそらく1990年代だった。

これも記憶違いなのかもしれないけれど、前のメンバーの最後のライヴと今のメンバーの最初のライヴをつづけて聴きに行った。前のメンバーはシンセサイザー吉森信でドラムが新井田さんだった。吉森さんは最近でもときどきゲストで参加する。そこへパーカッションで佐藤さんが加わっていた。次のライヴに行くと佐藤さんがドラムになっていて、清水さんがキーボードになっていた。

クレジットを見ると野本さんの名前もトリステンの名前もあるので、だいぶ前の録音であるようだが、リリースされたのは「生きること」よりあとだった。

4「脳千鳥」

これがその「生きること」に収録されている。私はむしろ「カモノハシ」の方が好きなんだけれど、どちらもインプロヴィゼーションから始まって歌のパートに接続するという構成になっている。ライヴでもよく演奏されていた。録音ではチェロの音が聴こえる。オキュン・リーだ。

5「恋とガスパチョ

これも前のメンバーの録音が元になっている。夏の定番曲で、この曲を聴いてから夏になるとガスパチョが欲しくなる。「みんなのうた」のために作られた曲だったが「ガスパチョが(こどもには)何かわからないから」という理由でボツになったらしい。「歌詞につくり方が書いてあるのに」と巻上さんは言っていたっけ。確かに「トマトときゅうりとピーマンににんにくとオリーブオイルで作る」と歌われている。そういえば「猫とロマン」も「みんなのうた」でボツになったものらしい。理由は「歌詞が難しい」だったらしい。

CDになる前からよく演奏されていて「珍無類」あたりは曲名も知らなかったがよく聴いた。ライヴでは演奏されていてもCDに入るのはかなり後ということはよくある。「サン・ラはピアニスト」なんかはだいぶ以前から時々演奏されているけれどまだCDに入っていない。

6「生きててよかったなあ」

「転々」に入っているやはりヴォーカルまで含めて即興の曲。ヴォーカルがリフになっているし最後もヴォーカルで終わる。

7「ベトベト」

そのヴォーカルの直後にこの曲のベースラインがいきなり聞こえてドキっとする。これは非常に大好きな曲。ライヴでもよく演奏してくれた。歌詞も身に沁みるし、ずれる歌や重たいコーラスもいい。今回のリマスターで三田さんと坂出さんのコーラスがより粒だって聞こえるようになった気がする。「グローバルシティの憂鬱」でも同様な感じがした。

タイトルは「プヨプヨ」「ドロドロ」「びろびろ」につながるオノマトペ系だけれど、曲調やテーマは特に繋がりはなさそうだ。

8「ユウトリウス」

「転々々」に入っている曲。このアルバム、タイトルからし「転々」の続編に思えて、しばらく購入をためらっていた。「ニコセロン」のシングルを先に聴いたのではなかったか。

「ユウトリウス」はライヴでもよく演った。名古屋のものすごく小さいところで、アコースティックの編成で聴いたこともある。これは即興ではなくて先に曲が出来ていたようだ。

9「デジタルなフランケン」

「グローバルシティの憂鬱」のテーマを引き継いだような曲だがインターネットの爛熟とともに深化しているように思える。「クリックで溺れてく」のところは何度聴いても泣ける。シングルヴァージョンもあるが、こちらは「生きること」で録音されたもの。

10「名もないところに前進だ」

「転々々」の曲で、これはインプロヴィゼーションのようだ。そういえばこのアルバムからテルミンの演奏が全面的にフューチャリングされるようになった。実際は1996年の「放射能」から導入されているし、ライヴでは以前のテルミンを使っていなかった曲でも演奏されていて音に厚みを加えている。

11「ニコセロン」

この曲のタイトルのすごいところはたとえばGoogleで検索してもこの曲のことしか出てこないところだ。つまりこのような単語は日本語にはないということ。そんな言葉を発明できるなんて。

CDではかなりデジタルな編曲に感じるが、ライヴだとドラムやベースの演奏がもっとグルーヴして、自然に踊りだしてしまう。

12「生きること」

ゼロ年代の集大成のような曲。ブレイクが多くて、初めて聴いたらどこで終るのか分からない。現に海外の演奏で、まだ途中なのに拍手が入ることが多いようだ。日本ではあまりそういうことがないのは、知っているというよりも様子を見ている人が多いからのような気がする。

何度も聴くとその構成の妙が分かってくる。演奏自体は毎回異なるが、構成は決まっていて巻上さんの指揮でシーケンスが変遷していく。ヴォーカルパートで3種類のシーケンスがあるし、それ以外にインプロヴィゼーションのパートもある。

歌の良さとインプロヴィゼーションの心地よさと違和感のある演奏がすべて感じられる名曲だ。

ライヴではこの曲の後に「入念」が演奏されることが多い。その意味ではこの1枚目は円環構造をなしていると言える。つまりいつまでも演奏は終らないのだ。